2014年09月30日

第4回 ホテルニューオータニ博多 マネージメントサービス部 広報課長兼秘書 大谷綾子氏

第4回目はホテルニューオータニ博多 マネージメントサービス部 広報課長兼秘書 
大谷綾子(おおたに・あやこ)氏にインタビューいたしました。

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大谷綾子氏(おおたに・あやこ) 
ホテルニューオータニ博多 マネージメントサービス部 広報課長兼秘書。佐賀県唐津市出身。1981年入社後、ホテルウーマンとして勤続32年。レストランサービススタッフとして2年、電話交換手として19年、マネージメントサービス部 広報課長兼社長秘書として11年勤務。趣味は仕事、読書。トライアスロンに挑戦中。

■ライフストーリー
― なぜ、大谷さんはホテルに就職しようと思ったのですか?

人に接することはもともと好きでした。
修学旅行のときのバスガイドに憧れ、たまたま、テレビで電話交換手の特集を見て、「声だけで人に素晴らしいサービスを提供できるって素晴らしい」と感じ、電話交換手にもなりたいと思っていました。そんなときに、学校にホテルの求人が2件来たので、オープン4年目の新しいホテルの方を選びました。それが現在の職場、ホテルニューオータニ博多です。

− 社会人になってから現在までのお話を聴かせてください。

最初に配属されたのはレストランでした。レストランでは笑顔と気配りを常に心がけていました。仕事をするうえで楽しかったのですが、私は電話交換手になりたかった!でも、電話交換手に憧れてホテルに就職する人ってあまりいないと思いませんか?(笑)

3年目に念願の電話交換室に異動しました。当時は、10名以上交換手がおり、24時間電話対応をしなくてはいけないので4交代勤務でした。自分が行きたいと希望した部署でしたが、21歳の私にとっては苦労の連続でした。

まず、聞いたことがない会社名を一度で聞き取ることは大変でした。もちろん、外国人のお客様対応もしなくてはいけませんので、英語力は必要でした。レストラン勤務と違い、見えない相手と対応する電話交換手の仕事には、幅広い知識が必要でした。自分が知らないことが多いことを思い知らされ、打ちのめされた気分でした。同僚と比べられることは嫌でしたし、負けず嫌いでしたので、このときに新聞も読むようになり、言葉遣いも必死に勉強しました。

− 19年間の電話交換室勤務のときに結婚、出産を経験されたのですよね。不規則な勤務をどのようにして乗り越えられたのですか?

私は24歳で結婚。25歳で長女、27歳で次女を出産しました。まだ、育児休業制度がないころでしたので、出産後3か月の産後休暇をとって復帰しました。4交代勤務は無理なので、会社が配置転換してくれるかもしれないと思いましたが、ちょうどその当時の主任が倒れ、交換手が不足していたので、異動はありませんでした。どうしようかと思っていると先輩が夜の勤務を変わってくださり、日勤で交換手に復帰することができました。二人目を出産した後も、先輩が結婚退職となり、復帰と同時に主任になりました。主任は日勤だけでしたので、乗り切ることができました。本当に周りの人に恵まれていたと思います。土日勤務もありましたが、生後1ヶ月から職場の近くの無認可保育園に預け、そちらは融通が利いて助かりました。


入社して32年間、自分が病気で仕事を休んだことは一度もありません。
でも、子供の具合が悪いときは休ませてもらいました。


電話交換手は女性ばかりでしたので、主任と言うと母親のような存在でした。だから、自分がみんなのモチベーションをあげなくてはいけないと思っていました。大変なことも多いですが、ホテル業はその楽しみを知ったらやめられない仕事だと思います。そのレベルに到達できるか・・・。不規則勤務、お給料も安いので、そうなる前に辞めてしまう人も多いのです。

子供が小さいうちは自己実現より子育て中心でした。

子供が小さいうちは英会話、秘書検定、電話応対コンクールの出場するための勉強などを寝静まってからやりました。家に帰ったら子供と一緒に過ごし、自己投資と思ってよく勉強しましたよ。世代が違うからかもしれませんが(笑)、自己実現よりまずは子育て中心でした。


− その後、現在の部署である秘書と広報の仕事に異動なさいますが、希望を出されたのですか?

抜擢です!(笑)
希望は出していませんでしたが、秘書検定を、産休、育児中に取得しましたので・・・。でも意外と、狙っていたかもしれません(苦笑)
2005年に異動しました。広報課長としては、自分がやりたいイベントを企画して実施しています。現在は自分の32年間のネットワークを生かして、やりたいことができるので満足しています。イベントでは突っ走る私ですが、秘書の仕事が自分の身を引き締めてくれて、どちらもあるからいいんです!


■部下を育てるときに心がけていることは
― 貴社の人材育成について、少し具体的に聴かせていただけますか?

ホテルの仕事は重労働、低賃金だと言われます。せっかく入社しても1〜2年、長くて3〜4年でこのままでいいのかと思い辞めていく人も多い業界です。私は人が潤ってはじめて、ホテルの仕事は成り立つと思います。

人を育てるときに大事なことは、まずは上司が楽しく仕事をしている姿を、部下に見せることだと思います。上司や先輩が楽しく生き生きとしていれば、部下もこの仕事を楽しむことができるような気がします。マネジメントに関しても、若いときから会議に参加させたりして、巻き込むことだと思います。

― 大谷さんが部下を育てるときに心がけていることは何ですか?

感情のまま叱ったりしないことです。

「大谷さんがいてくれてよかった」「大谷さんが上司でよかった」と自分の存在がその人に役に立つような育て方をしたいと思っています。役職定年まで3年、定年まであと8年。どれだけやれるかですね。


■ホテルに就職を希望する若者に一言
― フロントやブライダル業務など、ホテルの仕事に憧れる若者も多いと思いますが、
いかがでしょうか?


私の長女も東京のホテルに3年務めて、出産のために辞めて、福岡に戻ってきました。その娘が「お母さんに騙された。お母さんは『仕事がつらい、きつい』とは一言も言っていなかったので、まさかこんなにホテルの仕事がきついとは思わなかった」と言っています。

確かに見た目の華やかさとは全く違う仕事です。肉体労働も多く、きつく、辛い仕事かもしれませんが、それでも楽しく仕事をしている人たちはたくさんいます。そうなるためには「自分はこうなりたい」と強く思うことです。つまり、自分のモチベーションを保つことが大切だと思います。そのためにも、職場で生き生きと仕事をしている人を見つけてください。


■大谷さんの夢は
― 大谷さんの夢は何ですか?

とにかく自分がやりたいと思うことをやり続けることです。
死ぬまでがんばっている自分でいたい!

読書、身体を鍛えることなどたくさんやりたいことはありますが、

「なれる最高の自分になる」

これが私の夢であり、目標です。


■インタビューを終えて

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以前、大谷さんを紹介してくれた友人が「大谷さんみたいな先輩がいるから、私も仕事をがんばろうと思うんです」と言っていました。お会いするとまったくその言葉どおりでした。気さくでいつも元気、パワフル。反面、困っている人がいたらすぐに気づき、声をかけるような細やかで優しい心の持ち主です。

「仕事は楽しんでやるもの」と口で言うのは簡単ですが、これを体現しているのが大谷さんです。また、努力家で仕事以外のマラソン、水泳などのスポーツにも常に一生懸命にチャレンジしている姿を拝見すると、私も刺激を受けてモチベーションが上がります。

今回は一つの組織の中で働き続ける女性のロールモデルとして、いろいろなお話を聴かせていただきました。

・今、環境も制度も整備され、女性の活躍が期待されているのはいいけど、
期待値も高くなるから大変だと思う
・自己実現するためには、ある程度我慢も必要
・『なれる最高の自分になる』これが私の目標


これらの言葉はとくに印象に残り、共感しました。

イベントをいくつも抱え、お忙しいときにも関わらず、快く時間をつくってくださった大谷さん。
可愛い孫のゆずちゃんがいるから、ますますパワーアップする大谷さん。
淡々と語ってくださいましたが、経験に裏付けられた言葉は重たく、説得力がありました。私のちょっと前を走りながら、穴があったら「気をつけて、白梅ちゃん!」と教えてくれる貴重な存在です。

ありがとうございました。

2014年9月10日
白梅英子

posted by 白梅英子 at 15:23| Comment(0) | 日記
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